とにかく聞きまくれ!

 

Q いつからサッカーを?

小笠原監督:保育園から!でも中学校時代はやっていなかった。

Q サッカー一筋?

小さい頃は野球もやっていました。元々は八王子で生まれて、親が農業やるということで中学校一年のときに長野県にいって、地域のサッカーチームに入った。

Q サッカーを職業にするまでになったきっかけは?

やっぱりサッカーが楽しいからやっている。キャプテン翼とかサッカー漫画や有名な選手やコーチとか特定の影響ではないと思う。親の影響は大きい。家も自分でつくっちゃう感じで、農業のほかにも林業も携わったりしていて、人口3千人くらいの村だったのもあって、風呂も五右衛門風呂だった。そのおかげで基本どこでも生きていけそうな気がしている笑

高校からは強いサッカー部でやりたいと思っていたので、通える範囲で強いサッカー部が進学校だったから勉強して、なんとか入学して高校はサッカー漬けでした。

Q サッカー漬けってどんな感じ?

サッカーの予定しかない笑 遊んだりすることは基本なく、放課後は練習か試合のみ。

Q どんな練習を?

高校のときの練習はほとんどパターン。だからうまくならなかったのかなと笑 頭も何も使わない練習で、コーンがたっているだけの状況で反復練習。ボールを触ること自体は楽しかったから、まぁ楽しかったともいえる。高校は進学校だったから、夏のインター杯が終わると三年生は部を卒業してしまうけれど、自分は部に残ってサッカーをやっていた。部に残ったのは4人ぐらい。サッカーしようぜって辞めるのを止めたりしていたけれど、みんな浪人したくないって笑

Q 高校卒業後は?

大学は行かず、社会人リーグに行き、Jリーガーを目指した。親も自由に道を切り開いてきたので、何も言われなかった。18歳ぐらいで結果でていないと今後の難しさも感じて、でもどうやったらサッカーがうまくなるかなと思って、指導者のライセンスを取ろうと考えた。

周りは年上ばっかりだったけど、ひとりだけ同い年のヒトがいて、そのヒトは今、マリノスでコーチをやっている。ライセンスを取る流れの中で、これまでいい指導者にあってこなかったと気付いた。やるのは選手だからコーチはあまり関係ないでしょと思っていた。でもちゃんとした指導者がいたら選手って変わるんだと思って、面白い!と思ったんです。そう思ったそのときに、今度プロのテストを受けて駄目だったらコーチになろうと思った。

Q プロテストを受けて・・・

駄目だった。でも外国のサッカーに触れたいし、英語も喋りたいし、なによりアーセナルがみたい!となって、じゃイングランドだ!と。結局1年間行った。英語は日常会話程度話せるようになった笑

Q イングランドではどんな生活を?

ホームステイを1ヶ月ぐらいして、身体障害者施設で泊まり込みで働くことになった。ちゃんと喋れない患者も多い中で、結局ちゃんとそのヒトを見ることが大事だとわかって、イギリス人よりも理解できていた部分もあったと思った。サッカーチームに入った。選手として。初めては指導者として渡英したが、コトバも分からないのでやるほうが早いとなった。それから半年ぐらいして、一ヶ月ぐらい泊まり込みをしてライセンスを取るのに参加した。 

Q なんでアーセナルが好きなの?

無敗優勝したとき凄かった。こんなサッカーがあるんだ、できるんだと思った。障がい者席は最前列だったので、選手を目の前で見たら、アンリとか半端ないスピードだった。しかもドリブルで。

Q 選手からコーチへなるという葛藤はなかった?

選手として難しいだろうとなとも思っていたときに、ヒカリが差すようにその道が思えたので逆に嬉しかった。ガクンと落ち込むことなく移行できた。

Q それから13年・・・

よかったんじゃないかなと。もっといい選択もあったかもしれないけれど、今、クラブに行くのが楽しい。休みの日も、いっちゃうおうかなって笑 それはサッカーが楽しいから。

Q サッカーの何が楽しいの!?

いろいろある!!!ボールが思ったところにいくだけで楽しいし、思ったところに止まるだけで楽しい。相手の頭と違うことを自分がする時は、相手がうわっとなっている時も楽しいし、シュートがズバーンと決まると楽しいし、仲間と同じことを考えて、実際にうまくいったりするのも楽しい。アイデア勝負なところも楽しい。大人になって楽しいだけじゃなくて凄いんだなと気付いた。オシムが「サッカーは人生の縮図だ。サッカーで全部教えてもらった」と言っていて、確かにそうだなと思った。他にも有名なコトバで、「サッカーは少年を大人にして、大人を紳士にする」があって、でもその次には、紳士をまた少年にするんじゃないかなって思ったりもしている。だからはスアレスは咬んじゃうし、ジダンは頭突きしちゃう!駄目なところも含めて人間性が全部でちゃう。

Q どうしてヴェルディへ?

実はチームに拘りはなかった。いくつかのクラブチームに履歴書を送って、最初に面接してくれたのがヴェルディだった。面接の日に、明日ちょうどヒトも足りないしお手伝いに来てみてと言われ、初めはアルバイト。コネクションもなく笑 最初は普及部のコーチだった。イベントのお手伝いが最初の仕事だった。日給1万だった。その後、スクールをやることになった(一コマ3千円の)。それを2年間やった。午前中スポーツジムでバイト、夕方にスクールという生活だった。その最中に学校巡回をやったのが、今の自分にとって勉強となった。教えるにあたって単純に子どもに、自分を好きなってもることが大事だった。そうしないと子どもは何も聞いてくれないから。コーチである自分に興味をもってもらう必要があった。それがコーチの原点だった気がしている。毎回緊張してそれをやっていた。

Q 監督の仕事でつらいときは?

例えば、遠征メンバーは人数が決まっていて、3年生にとっては最後のクラブユース。行けないメンバーを選定しないといけない。選ぶのはツラかった。でも勝たたないといけない。それを告げると涙を流す子もいる。そういう局面も一部。

Q サッカー選手に必要なモノは?

技術、判断、フィジカル、メンタルかな。

Q 判断はどういうトーレニングで育つ?

コーチによって違うけれど、いくつかのイメージを伝えるヒトもいる。自分は、いくつかのルールを伝えて、勝つためにはどうしたらいいか自分で考えるということを意識させる。そういうトレーニングを繰り返すと、局面局面でこうしたらいんじゃないかと考えるようになる。先に答えを言ってしまうとただ遂行するだけに。アインシュタインが、問題をみつけることは問題を解くよりも本質的だという有名なコトバがある。何が問題なのか、どうやったらうまくいくのかを考えられるような選手を育てたいと思っている。

Q 影響を受けた人は?

これっ!というヒトはいないけれど、出会ったヒトの気になったところをチョイスしてきているのかなと思う。あえていうなら、親が変わっている。でも小さい時は変わっていることに気付かなかった。兄貴と二段ベッドに寝ていて、朝4時くらいに親父が帰ってきて、二人叩き起こされて、、、このパターンはよくあって笑 いきなり「山に行くぞ!」っていうことがあったり、お母さんは「やめて〜」って笑 違う日には、「そこに座れ」となって。ハクビシンが道で轢かれていて、クルマに乗せて、連れてきたと。ハクビシンはすでに死んでいて、「おまえらどう思う?」と聞いてきて、「どうする?」となって、学校の校門の横のところを掘って埋めたり。そういう血がはいっているのかもと。でも自分に置き換えたら、自分の母親とは結婚しないし、親父もとしない。どっちもトンでいるから笑 

コーチでいえば、日本サッカー連盟の木村こうきちさんというコーチ。木村コーチに触れて、コーチのチカラは選手を導くと知った。木村さんにはヴィジョンがある。そこにどうもっていくか、押し付けないで、いかにも選手が自分でやっているか、teachじゃなくcoach。coachの起源は長距離バスという意味があって、大事な物を運ぶという意味から付けられているらしい。木村コーチのコトバのトーン、チョイス、タイミングがパンパンと入ってくる。それをやったら、ナイス!と褒められて、自信をもってやれるようになって。まるでひとつの舞台をみているような感覚だった。良いコーチの素質に欠かせないものは何かと言えば、「サッカーを良く知っている」ということだと思う。

Q 新米コーチにアドバイスするとしたら、何を磨けという?

自分の理想とするサッカーを毎日考えるように自分はしている。それは、見ているヒトもやっているヒトも興奮するサッカー。そして甲子園のようにがむしゃさもほしい。ヒトはがむしゃらに頑張っているヒトにヒトは攪てられる。自分は相手コートで圧倒したサッカーを目指して、日々トレーニングしている。相手も含めて自由な22人をうまく制限しながら、うまく制限しないようにしながら。日々コンディションも違う、ヒトを扱う。ヒトは、生ものだから。その中でメンタリティは重要。心技体の最初は心。心が一番大事。試合の心は、その日の心ではなく、その日までの心が大事。アインシュタインは、蒸気のチカラや電気のチカラよりも意思のチカラが大事とも言っている。何よりも意思がないとはじまらない。そこに行こうと思わないと辿り着くことはない。

Q 監督にはどうやってなったのか?

最近、チームのサッカーがうまくいってなくて、コーチだった自分が「おまえ、やれ」みたいな流れだった。その時の監督はスイッチしてコーチにというのが最初の打診だった。でもそれはやめてくれと言って、監督は総監督というネーミングとなった。監督とは仲良くて・・だからそれは受け入れ難くて。監督から影響も沢山受けているし。監督は藤吉さん(ヴェルディが、Jリーグ創成期に時代を席巻していたときの選手)で、めちゃくちゃ明るくて、一緒にいるだけ明るくなるような稀なヒト。だから、最初の配置は転換はのめなかった。試合の結果もだが、内容もよくなかった。監督をオトコにするのがコーチの仕事でもあるし、一蓮托生の関係だと思っているけれど、たまたま、AチームとBチームに分けて試合形式で練習していた時に、自分が受け持ったチームのトレーニングの方法やら、試合の仕方とかがよかったらしく、立場の人から言われた。ヒトそれぞれ、コーチングスタイルが違うので、結果も違う。

Q 印象に残っている選手はいますか?

直接教えていないけれど、今度オリンピックに出る中島翔哉。10番で、ヴェルディで小中高とやって、FC東京に移籍した選手。お金の差で移籍した。彼は、メンタリティが凄かった。「バルセロナの10番をメッシからとる!」みたいなことを言っていた。そして、たぶん、メッシは人間じゃない笑、ぐらいすごい。

Q 好きな選手、好きなコーチは?

好きな選手はロベルトバッジョ(イタリアの10番)。バッジョはサッカーのすべてが詰まっている気がする笑 好きな選手はいっぱいいるし、年間沢山の試合を見ている。サッカーをショウとして見ている時もあるし、戦術として見る時もある。一番はなによりショウとして見ている時が楽しい。ファンとしての目線もまだ持っているんだなと思う。選手より監督に目がいく。どこに拘っているのかとか、こういうやり方するんだなとか、サッカーは、やればその中身が透けてみえるから。好きなコーチもいっぱいいる。特にだったら・・パコ・へメス(スペイン、昨シーズンはラージョ・バジェカーノの監督)。理由は理想を貫けるヒトだから。一番需要なことは、他のヒトの意見に耳を傾けないこと。時にとても危険な考えにも聞こえるが、自分の信念を貫くを何よりも大事にしている。バルサはボールポゼッションで世界一のチームだけど、パコはある試合で50%以上のポゼッションを取ったこともあって、それだけで凄いし、相手が強いからといってやり方も変えない。打ち合いを挑むというか。0−7で負けることもあるけど、見ていてスリリングだし、勇敢だなとか面白いなって思う。弱いチームのくせに一歩もひかない。下手なくせに俺らメッシだぜって顔でサッカーをやっている。すごい面白いサッカーをやっていると思う。

Q ゴールをもってやっているのか?夢は?

遠くの夢はなく、近くの夢しかない。あまり遠くはみれない、性格的に。普及のコーチをやっているときは、普及のコーチとしていいコーチになりたいと思ったし、今、育成のコーチをやっている今は、良い育成のコーチになりたいと思ってやっている。思うのは、いいチーム作りたいということ。「俺たち、最高のチームだよな」って誇りを持って、言えるような、ここにいて良かったと思えるチームを作りたい。

Q 小笠原監督にとってサッカーとは?

なくなったら退屈ですよね。人生のほとんどの時間を費やしてきたから、なくなったら何をしていいか分からなくなる笑。仕事でサッカーしてきて、帰ってきてサッカーの試合を見て、サッカーの本を読んで・・・選手にはサッカーって楽しいなって思ってほしいから、なるべくつまらない練習はしない。それでサッカーがうまくなる練習をしようと心掛けている。

 

インタビューおえて。

小笠原君には、友だちの紹介で出会えた。インタビューから3ヶ月ぐらい経ち、初めて試合も観戦した。よみうりランドでのトーナメント制一回戦は、水戸ホーリーホックとの試合。小笠原監督は、フィールドにいた。インタビューを思い出した。虚勢を一切はらない、ありのまま感を感じ、物腰の柔らかく、同性代ということでとっても好感をもった。純粋にサッカーが大好きで、大好きなものを職業にしているヒト。自分のハートを体現出来る、アーティストにもみえた。そのハートを選手に、見ている観客に、応援してくれている仲間やファンに届けなくてはならない。重圧もあると思うが、大好きなサッカーをとおして、多くのヒトに出会い、導いていく過程をいくつか聞いて、素晴らしい仕事、人生だなと憧れをもった。好きなものを一筋続けること、続けられる覚悟と勇気。サッカー大好きな俺は、サッカー選手の周りにいるヒトも、改めて好きになった。大好きなサッカーを提供してくれてありがとう!

これからは、もっと奥行きもってサッカーを見ていこうと思う。