ぽんぽこ日記

我が家は隊長M男、副隊長マダムディッシュ、歩兵ピーコちゃん(2歳)の3人で構成されている。そこへ訓練生豆ちゃんがやって来た。

普通=幸せ
普通=幸せ

ピーコちゃんの語彙力の発達はロケットのようにグングン上昇中。

と同時に「コレナンダ?」とよく聞いてくる。本当は知ってるものでもわざと言わせてくる。時に2歳児に的確かつコンパクトな説明をするために頭を悩ます存在の物もあったりする。とかく彼女は一日中ほぼ喋りっぱなしである。

少し前にはコンビニでいちごオーレを手に持ち、「いちご、いちご」とレジまで歌いながら紙パックを運んでいると、レジのおばあちゃんが「いいわねーいちごなんて知ってて。私の子ども時代なんてそんな美味しいものなかったわー」と戦争時代を生きたおばあちゃんが目を細める。

いちごオーレを飲みながら海にいると空に自衛隊の飛行機が飛んでいく。黒くてイカツクて大きな音。それは旅客機の海外旅行の夢を乗せて飛んでいるのとは明らかに違う存在。

いわゆる普通な生活って実は大層幸せだったりするんだよな~。


誕生日
誕生日

隊長が嫌々ながらフォティーズの時代を迎えた。歩きたくないのに無理やり飼い主に散歩させられている犬みたいに手足を地面に這いつくばって抵抗していたけれど、日付が変われば呆気なく40代。

節目の年は今まで1番くらいおめでとうシャワーを浴びたそうで、それはそれで嬉しそうだった。嬉しそうな家族をみると私も嬉しい。

豆ちゃんも祝4ヶ月。寝返りも高速で行えるクルリンパちゃん時代。

今日は隊長の34歳の頃の写真が出て来て見ていると、ピーコちゃんそっくり!いや、ピーコちゃんが隊長の幼い頃にそっくりだということが判明。

その後もピーコちゃんの赤ちゃん時代の映像見たり昔懐かしむ今日だった。

歳を重ねる事にポジティブさはあまりないと隊長は言うけれど、大好きなドキュメンタリー作品のように過ぎ去りしドキュメントな日々を思い出せるのも、時のなせる技ですよ。


生物
生物

引越して生き物に触れる機会が増えた

トカゲ、アオムシ、ヤモリ、カマキリ、セミ、どれも家のベランダで最近遭遇した者たち。ヤモリに関してはしっかり家を守るべく押入れの中まで入ってきていた。

東京では公園でもアリをあまり見かけず、スズメも見かけなかった。虫や昆虫に遭遇すると自分のこども時代にかえった気分になる。セミの抜け殻を宝石箱に大切にしまってたし、ティッシュの空き箱にバッタを採って入れるのが大層すきだった。気持ち悪いって気持ちはいつ何時から持ち始めたんやろか?これを機会にもう一度好きになれるかしらん?

ピーコちゃんは恐る恐る虫や昆虫に興味を示し、豆ちゃんはまだ何も出来ずただ遠くから眺めている。隊長はサメに怯えながら海に入る。



beautiful
beautiful
知らないおばあちゃんに「あなた素敵よ」と言われたピーコちゃん。ちょっと恥ずかしそうにはにかんで答えてた。
「あなた素敵よ」ってなんて素敵な響きなんだ。隊長はいつも言ってる、「良かったものには良かったとすぐにちゃんと伝える」と。素直率直な言葉ほど心に響くものはない。本物の言葉。
豆ちゃんの咳止めシロップを自分がやりたいとぐずるピーコちゃん。ダメだと言われ怒涙してぷいっと自分の部屋へ消える。
3分後部屋から鼻歌が聞こえてくる。
あなたやっぱり素敵よ。

I have a dream
I have a dream
困窮している国や地域のこどもたちに明るい未来を見させてあげること。知らない世界や文化が過去現在未来広がっていることを伝えること。
それ実現するには、努力やチャンスが沢山必要になるでしょう。努力しても果たせない事かもしれません。でもはじめてその考えを持った時と同じ気持ちを今でも持ち続けている限りは少しでもそれに近づけるようにしていきたい。
小さな時から周りの人たちにめぐまれて育ってきたと思っている。出会ってきた習い事の先生たち。学校の担任の先生とかにも恵まれていた。友だちにも愛すべき人たちがたくさんいる。隊長、ピーコちゃん、豆ちゃんたちから愛されること愛することを深く教えてもらっている。みんなゼロ〜無限大にいろんなことを教えてくれた。
教えてもらった知識や経験や愛を次の誰かにバトンパスして行く行為をしていきたい。

サイズ
サイズ
天国という名の公園を見つける。
地平線がどこまでもひろがっているような、天空にいるような気分になれる公園。そこで隊長に抱かれる豆ちゃんは小ちゃかった。日に日に大きくなっていると思ってたけど、まだまだこんなに小さかったかと再認識。
豆ちゃんと隊長がお昼寝しているのを見るとビッグとスモール。隊長サイズになるまでにどんな人生が待っているんだろうなと思いを馳せる。
ピーコちゃんはスケボーに乗ったりして存在感たっぷりの大きな声で笑っている。覚えたての言葉で水あそびを楽しんでいる。同年代の中では小柄な方かもしれないけど、手足を自由に伸ばし走りまわる姿はたくましい。

こども時代
こども時代
遊びたい放題で、眠くなったら寝て、美味しいもの食べて、ヤな事あったら泣いて、昨日も今日も明日も日付けなんてわかんないけど気分はハッピー!
だんだんと視界が冴えてきて、でもまだなんとなくずーっと眠くて、お腹空いたら泣いて、寂しくって抱いて欲しいから泣いて、自分が何なのか誰なのかよく分からないけどとにかく生きている。
子どもたちの感じてる今ってどんな感じなのかな?新感覚に満ち溢れていそうで入れ替わってみたい。
でもこどもの頃は早く大人になりたかった。多分それは自由になれると思っていたから。窮屈な所から逃げ出したかったから。
ピーコちゃんや豆ちゃんには、いつまでもこどもでいたーい!と思えるような、自由で楽しいこども時代を過ごして欲しいな。
食べなさい、早くしなさい、片付けなさい、気づけばナサイナサイと言い続けていた。〜してください。と言い換えるようにしたらなんかちょっと違う気がした。
叱る時は叱りますけどね、ドッカーン!

マザー
マザー
数日前に自分で自分のことを自然とママと呼んでいる事に気付いた。今までは多分どこかでママっていうか私はワタシやもんと思ってた部分が残っていたんやと思う。それが2年間半にしてやっとママになれたのか?でもそれは進歩なのか?なんかママっていう響きにはどうも好きじゃないイメージがまとわりつく。
昔の職場で自分のお母さんのことを「はは〜」って呼んでいる子がいて、その感じが自然で、そしてそこの親子関係もベタベタし過ぎず理想に見えて私も呼ばれるなら「はは」がいいなって思ってた事を思い出す。
私もやっぱりそのうち「はは」って呼ばれたい。どこかで軌道修正しないとな。

僕らはみんな生きている
僕らはみんな生きている
メリハリのない身体メリハリのない1日。イカンこれではイカンガーダイナマイト。
家の中だけにいると、感覚が鈍くなる。いろんな事に無関心になっている気がする。大げさかもしれないけど、外の空気に触れると皮膚が肺が目が耳が身体全体が喜んでいるのが分かる。ふと刑務所や病院や宇宙ステーションとか、閉ざされた空間に長期間いないといけない人ってどんな感覚なんやろって思う。
ピーコちゃんのお気に入りの公園に行く
改修工事がすっかり終わっていて、フェンスもトラックもガードマンもいない広々した良い公園になっていた。
豆ちゃんのお付き合いで家にいる時間が多く、もともとは運動派のピーコちゃんも最近はちょっとプックリ&疲れやすい?のではないかと隊長と話していたけど、公園行ってみると以前通り忍者カッパツ君であっちこっち行って帰るのはヤダ!という展開。安心と豆ちゃんが外デビューした時への心配両方味わった今日です。

祝 1ヶ月
祝 1ヶ月
豆ちゃんが地球の空気に触れて、今日で1ヶ月。
洋服の袖口から手足が出ないオバQ状態もだんだんと薄れていき、今では力強い新芽の如く手足を袖口から出しバタつかせている。少しこちらからのちょっかいに反応しているようなしていないような。そんな中怪獣ピーコちゃんの接近だけは敏感にキャッチ。ピクついて構える。
ピーコちゃんは過去形を自然と取り入れ会話してきた。ん?え?おぉ!?と驚く。昔自分が辞書、学校、教科書を使って言語を勉強した日々を思うと、なんて自然に文法が学べているんだ!と目から魚1匹分の鱗が落ちる。
こどもの成長はあっという間。日に日に劇的変化を2人共々遂げてゆく。

おもんばかる
おもんばかる
身体は1つ、手は2本。だから同時に出来ることは限られる。
ありありあるあるだと思うけど、ママーとピーコちゃんがやってきても希望には添えない時が多くなる。ちょっと待ってねと言うとはい!という良いお返事が返ってくる。いつも2番手にするのは不甲斐ないとお風呂や豆ちゃんが寝ている時はピタペタひっついて過ごしている。でも時たま寂しそうな我慢しているような表情をしている気がして切なくなる。
そして書きかけのこの日記の途中で、隊長よりピーコちゃんと2人で海デートする時間をもらう。1ヶ月ぶりの海。砂浜にはBBQ家族がチラホラ。春の空気を吸う。世の中は回っている。
すぐに抱きしめてあげられなくても、目を見てたくさん笑顔を向けてあげようと思う。

ゴールデンデイズ
ゴールデンデイズ
ついに隊長の休みも終わり、日中は一姫二太郎と私の3人組になった。終わりのような始まりの1日。
長いバカンスのはじまりはいつもどんな日々になるかと日数を数えたりして予定を想像して過ごすけど、過ぎ去ってみるとあっという間。
新しいメンバー豆ちゃんが家にいる生活に豆ちゃん本人を含めみんなが慣れてきた。
この家族4人になるための日々に、ピーコちゃんと隊長の信頼の綱が太くなったみたい。たぶん隊長の選ぶ服や通る道、叱られるポイント、遊ぶ内容、食べる物色々が私との日々とはちょっとずつ違う。そんなこんながピーコちゃんのおしゃべりレベルを飛び級レベルでアップさせてくれたのかもしれないし、随分とお姉さんな娘になった。
離れて寂しくしょっぱい涙の夜もあったけど、みんながそれぞれレベルアップした日々になったみたい。そしてそんな環境を作ってくれた隊長や家族や周りの皆さんに感謝!

抱っこ
抱っこ
2人目の子がやって来ると1人目の子が嫉妬する。とはよく聞く話。赤ちゃん返りとかとか。でもやってみるとうちでは違った反応が返って来た。豆ちゃんのお世話をいろいろお手伝いしたくってウズウズ。まだ何をどうすればいいのか分からないけど、とにかく関わりたいんだ!という気持ちが全面に出ております。
病院生活では夜中しょっちゅう起きていた豆ちゃん。夜中の薄暗い空気の中背中を丸めて、まるで妖怪みたいに授乳ばっかりする生活になるかと思ったら、家では意外とぐっすり。3時間おきには起きるけど、静かにお知らせモードで、家のお布団だからか私には3時間の睡眠が5、6時間に感じられた夜。
帰宅すると黄色いお花が花瓶に飾られていた。隊長が買って来た菊の花だった。いつの間にか誰かに決められていた菊=仏様へのお供え花というイメージ。でもちゃんと手入れしてあげて飾ってあげると可愛い。
イメージって時に思い込みによって本来の物や人の形を曲げているって改めて実感。とらわれず真実の目で世界を見たい!
まだ4人組生活2日目だから思うことなのかもしれない。でもちゃんといま感じたことを記録しておく。

市立病院の窓より 桜
市立病院の窓より 桜
ついに4人組生活が明日から始まる。
今現在は未知数の未来が待ってる感じ。
隊長とピーコちゃんは病院に毎日通ってくれた。でも病院で会うピーコちゃんはなんだかちょっと大人っぽくて思うほど目を合わせてくれない。家ではマイクを持ってバカ騒ぎをしていたのに急にお姉さんな感じがして良い子でいられて誇らしいような、ちょっぴり寂しいような…きっと家に帰って少し経てばフル馬力のピーコちゃんを見せてくれるとおもうけどね。
豆ちゃんは明日から眩しい太陽と潮風と宝のガラクタが詰め込まれた我が家へ行くことをまだ知らない。
いい音楽をたくさん聞いて、ピーコちゃんと一緒に踊って、美味しいものたくさん味わって(まだ匂うしかできないけどね)、より良い日々にして行くために生活向上委員として頑張ります。

本部から支援に来てくれたJとC、隊長、ピーコちゃん、豆ちゃん、私、みんなで乗り越えた9日間。みんなに感謝。
隊の中での自分の存在や、自分の中での隊長、ピーコちゃんの存在の再認識できた特別な日々。
外はすっかり春だって、家族みんなで海みたいなー。

オーマイガッツ
オーマイガッツ
ここの病院はいわゆるごくごく普通の病院だけど、お風呂からの景色が結構いい。自然光で明るくって、ブラインド越しに6階からの街並みが見え、広くって…
どっひゃーーーーー!鏡に映るワタクシはまるでアフリカの裸族のご婦人体形!
えーえー知っていましたわよ、臨月でこんなにぽんぽこりんだとそんなに簡単には戻らないこと、だがしかし!!!である。
現実を直視しましょう。運動しましょう。日本人に戻りましょう。
それにしても数日間で自分の子どもの泣き声を聞き分けられるようになった。これって結構野生的。やっぱりアフリカなのかな〜。

HAPPY
HAPPY
赤ちゃんが出来ることはとってもシンプル。泣くこと、おしっこウンチが出そうな時に何処とかまわず出すこと、以上。あとはただ眠っている。
3時間おきに寝ていても起こしておっぱいをあげる。ちゃんと栄養をお腹の中に入れて人間らしくなっていくために。もちろん予定3時間より前に目を覚ましおっぱいをおくれ〜と泣いてせがまれる時もある。昼夜を問わずであーる。うんちもおしっこも人形に管が通っていて、どこにも滞留せず下がってきたのかっていうくらい、上から入ればすぐ下から出てくる。
大人よりとってもシンプル。シンプルだけどとても繊細。壊れそうな繊細さと、しっかり地球に出てこられた力強さ、51センチながらにいろいろスペックを兼ね備えた豆ちゃん。
産まれてすぐから5体満足に恵まれ、いわゆるスクスク育てる子っていうのがどれひど少ないのかと病院にいるといつも実感する。どのお父さんお母さんもここでは本当に健康でさえ産まれてくれればいいって心底思って願って祈っている場所。
大切な存在だからこそ失う恐怖も同時に発生する。ハッピーとアンハッピーが人生の半々だってちゃんと知ってる。だけどだけど、少しでもハッピーが多い人生を周りにも自分にも求めちゃうのも事実です。

CHIGASAKI girl
CHIGASAKI girl
2年半ずーっと一緒に居続けたピーコちゃんと私。夜離れて眠りにつくのはお互い初めてだった。不安だった。
電話から聞こえるおとなしめの声。別れ際に見せる涙。どれもピーコちゃんだけのことじゃなくて、自分も同じだった。同じ分くらい寂しく悲しかった。いざ面会時間で会うとお互いいつもの調子がなかなか出ないで微妙な空気感。
今日病院のロビーで私を見つけ、寝起きの歩みから一気に軽やかな歩みに変化する瞬間を見せてくれた。とっても嬉しかった。
まだまだ小さい体いっぱいに、その時溢れる感情の色を爆発させているピーコちゃん。
4人で家に戻ったら一緒に眠ろうね。

歩
文書を書くにはシャンとした頭が必要だ。今の私にはそれがないふわふわと浮いた眠気という幻想的な世界でおっぱいを吸われながらこれを書くのです。病院の中は心地よい温度設定で昼夜を問わず人が動き、一定の明るさ、まるで白夜の中で暮らしているみたい。入院も5日を過ぎればカーテンで仕切られただけの自分のベッドも少し居心地良くなる。
でもね、隊長とピーコちゃんが会いに来てくれると、春の外気がふわっと香るのさ。そして早く我が家に帰りたい。ってやっぱり思っちゃう。
豆ちゃんはキョロキョロと周りを観察するのがとても好きです。こんな殺風景なカーテンだけの空間じゃなく、ひろーい世界を早く見せてあげたいな。

チャンスを鷲掴み
チャンスを鷲掴み
ピーコちゃん無事に部下が我がチームに参加したぞ、日記において豆ちゃんと呼んできたけど見た目は丸く握って(顔)黒い海苔(髪)まいたおむすび君それが君の弟兼部下の豆ちゃんだ。
まだ離れて暮らしているので、紹介されても他の機械や人が目に入ってそっちの方が気になっちゃうかもしれないけど、もう少ししたら一緒にお家で暮らすんだよ。姉弟の関係性は2人がこれから構築していくもの。仲良くしてほしいけど、ぶつかり合う時もあると思う。でもいつか本当に困った時や嬉しい時は報告しあえる2人でいて欲しいなと思ってるよ。
豆ちゃんよ、この世界はどうだい?広そうかい?楽しそうかい?明るいかい?
君の歩むところが君の人生道になって行くんだよ。坂道、細道、トンネル、獣道、海沿いの道、回り道、いろいろあるぞ!
ひかり降りそそぐいい道歩めよ!


ひとりぼっち
ひとりぼっち
ついに来た。
入院の日、産む前日、独りの夜。
ここまでの妊婦生活調子が悪くなる事もなく、引っ越して海の近くに住み、ピーコちゃんはおとなを沢山真似して話せるようになっている今日3月29日。
病院ってとっても無機質な雰囲気なのに、私にとっては極上に柔らかい存在と出会う場所でもあることを、同室の赤ちゃんの泣き声を聞いて思い出す。
「日に日にピーコちゃんが可愛い存在になる」という日めくり帳をめくっている私。豆ちゃんの存在も同じように、共に生きる時間の長さが愛おしさを拡張していくんだ。隊長、副隊長、ピーコちゃん、豆ちゃん、みんなで長く仲良く暮らしていきたいな。

私たち明日4人家族になります。


ラストスパート
ラストスパート
1人から夫婦2人組、ピーコちゃんが加入した3人組、そして豆ちゃんが入る4人組まであと3日。
ピーコちゃんとのんびり遊べるのも最後なので、あんまり遠くには行けないけど近所の気になるスポットを巡っている今日この頃。
何でも自分でやってみたい気持ちとまだまだ甘えたい気持ちが入り混じるピーコ2歳6ヶ月。赤ちゃんを見れば「あーちゃん」と言い心の準備は万端らしい。今のところだけどね。本物が家にやってきた時の反応が楽しみ。
ピーコちゃんの時より皮膚が薄くなっているのか、お腹を触ると豆ちゃんの足なのか?手なのか?がすぐそこにある不思議。
家系的に帝王切開の運命にあると病院の先生に言うと「昔だったら死んでましたね」とあっさり言われる。確かに!昔むかしなら多分繋がらない命だったのかもしれぬ。時代に感謝。と共に、やっぱり産むって命かかってんなーと改めて思う。

センチメンタル スプリング
センチメンタル スプリング
ヴィトンのショール、エルメスのバーキン、マノロブラニクのピンヒール。バッチリ決めたお母さん。そうか卒業式シーズン。
私も踊れないポンポコリンのお腹にあと1週間程度でグッバイ。最後の検診ではエコーで顔もはっきり見えて、豆ちゃんからのよろしくねのご挨拶を受け取る。
不自由だけど卒業だと思うとチビーッと寂しいこのお腹。
初めてピーコちゃんの名前を覚えてくれてレジのたびに呼んでくれた近所のスーパーマーケットcrownが突然の閉店。貼り紙曰く倒産してしまったらしい。ありがとうもさようならも言えない寂しさ。
いろんな卒業のかたち。

未来
未来
黒柳徹子さんのインタビューが読みたくて、久々に雑誌を買う。そしたら黒柳さん以上に東村アキコさんと植本一子さんの対談記事にグッと来た。お二人とも仕事しながら子どもを育てているワーキングマザー。働かずにのんびり子育て出来た私はラッキーなんだという事、たぶん病気知らず&自由時間満載で育ったピーコちゃんもラッキーだという事。時に尊い日常に対して盲目になる事がある。そういう物に気づかされた文章だった。そして世の荒波と日々対峙している隊長に感謝した。
子どもは両親の作り上げた世界観の中で育ち、学校や友達から世界を広げて行きいつか親元を巣立つ。両親に対してこんな所が嫌、こんな所は感謝、どちらの気持ちも持っている。ピーコちゃんはジャンベやカリンバを弾き、隊長自作の名もなき唄をあたかも童謡かの如く口ずさむ。いつの日か、そんな物ものを大事に思っている大人になるのか、逆に反抗的にオーソドックス街道を歩んでいるのか。
ピーコちゃんや豆ちゃんがいる事で、自分の人生分の10年20年だけじゃない、もっともっと長い時空を思い浮かべたり身近に感じる事が多くなった気がする。そうやって過去のみんなが描いてくれたより良い未来が今なんだろうと思うと、海岸のゴミも拾いたくなる。

為せば成る
為せば成る
のんびり学園33年生の私でもさすがにそろそろ豆ちゃん登場の準備をしなくてはと思い、ピーコちゃんが使っていたものや、赤ちゃん本舗なんかに足を向ける。新生児用のサイズの小ささに驚いたり、ピーコちゃんの成長を実感したりする日々。
巷では子どもが増えると苦労も倍増するとよく言う。子どもが複数いる友達もみーんな口裏を合わせたのごとく「大変だ」という。それは多分ほんと、間違いなくほんとなんだと思う。その反面「ピーコちゃんは子ども仲間が出来て嬉しいんじゃないか?」とか、「ここでついに我が家もカカア天下か?」とか、楽観的なのかもしれないけど結構ポジティブにも感じている。でもあれかな、嵐の前の静けさってこの事で、蓋を開ければてんやわんやの大騒ぎが待っているんだろうけどね。でもそんな今だからこそ書き記しておきたい、明治や大正時代には今よりもっと過酷な環境で子どもを5、6人育ててたんだー!と。
私の人生において、最後の妊婦生活とも最近思う。と、この重たい人造マシーン腹にも少しは感慨深い思いが出てくる。
今朝子どもが5人出来る夢を見た。。と隊長がげっそりとして目覚めてきた。おいおいそれは流石に無かろうよ。

ゴーイング ユア オウン ウェイ
ゴーイング ユア オウン ウェイ
ピーコちゃんも2歳を過ぎると、なんでもほぼ1人で出来るようになる。その分失敗することも多い。
人生道に転がる石を上手に避けられるようになるには、まずは石につまずいて転んだ経験が大切になってくると思う母なので、失敗もたくさんすればいいとおもう。
やるかやらぬか迷うことがあれば、絶対やる方がいいと思う。特に豆ちゃんは男の子。優柔不断より臨機応変即時即決できる男になってほしい。百聞見は一経験にしかず。 迷ったらトライ、なんにでも挑戦、世界は広し、十人十色、たくましくイケイケ!ピーコちゃん、豆ちゃん!

愛の讃歌
愛の讃歌
お腹の出っ張り=豆ちゃんの存在感がMAX飛び出してる。出目金魚の目のような、こぶ爺さんの今にも落っことしそうなこぶみたいな、小森のおばちゃまのヘアースタイルのような、まーもう大地なる母代表として地球がお腹に入っちゃったのかもね。
そんなこんなで立ったり座ったり屈んだりいろいろ面倒だったりする。だけどピーコちゃんはお構い無しに動き回り、こぼしたり、転んだり忙しい。
粗相も多いと叱られるわけで、叱られると泣く。泣いても慰めてほしいのは、叱ってる私。だから遠くもなく近くもない場所でチラチラこちらを見ながら涙する。なんか絶対的なもの。これが愛ってヤツか、を感じる。

チクタクチクタク
チクタクチクタク
今日はわたくしの33回目のバースデイ。
1年前の自分が今の自分を想像出来なかったように、33年前オギャーとこの世に登場した時から私なりにいろいろとありました。時間なんてあっという間。
ピーコちゃんと暮らし始めて、まだ◯時か〜。と思ったことは一度もない気がする。もう◯時か!の繰り返し。幸せと苦労は背中合わせか。
朝日がサンサンの33歳は思いたったら吉日、即実行できる自分になりたいわ。

反映
反映
ピーコちゃんと私は顔があんまり似てない。周りの人からも隊長似だとよく言われる。
中身も小さいながらに、結構我が強し!
そんな時はガガマルと呼んでやる。
好きなものがはっきりしているのは良いこと!どんどん好きなものを増やしておゆき。
これからなのだ!これから良い景色、本、映画、音楽、人、絵、恋、ご飯、服 とにかく数えきれないくらい沢山の経験する。そして価値観が構築されていく。谷川俊太郎さんの本に「すこやかに、おだやかに、しなやかに」と言うのがあるけど、まさしくその様に育って欲しい。赤い炎のようなほとばしる青春もいいでしょう。青い炎のような凛とした空気もいいでしょう。
さてさて豆ちゃんはどんな顔で、どんな性格で地球にやって来るのでしょう?楽しみに待ってますよ。

鬼はソト福はウチ
鬼はソト福はウチ
独身時代は季節を意識するのは、衣替えするタイミングくらいだった。
でもピーコちゃんや豆ちゃんがいると季節の行事ごとも多少気になったり、神事にも興味がでた。
満月にはやっぱり出産する人が多かったり、身ごもる事や産む事もこれだけ技術が向上している現代でも未知数なところがあって神や仏の姿もチラホラするもの。
そんなわけで今日は小学生以来くらい久々に節分祭に行ってみた。
普段は大豆になんて見向きもしない老若男女が空飛ぶ豆を我れ先にとキャッチしにかかっている姿は神事というよりバーゲン会場さながら…きっと神様も仏様も呆れていらっしゃるのでは?兎にも角にもピーコちゃんも無事に福豆を頂き神社を後にした。
えーっと次の行事はバレンタイン?忙しいなぁ。

名前は突然に
名前は突然に
豆ちゃんの名前が決まらない。なかった。
いくつか候補に上がっては、これだ!という所まで辿り着けず空中分解する。
そんなに大きなこだわりはなかったけど、一生ものと思うとやっぱり考える。
そうなると出会う幼い男の子たちの名前も気になってくる。みんなそれぞれに親御さんの思いを一身に受けて名前を背負っている。素敵な響きに聞こえる名前たち。
はたして、きみの名は?
ふと本棚で見つけた著者名から後光がさしていた。決定のハンコを頭の中で押し、脳内より豆ちゃんへ伝達。気に入ってくれたかね?

おやじの背中
おやじの背中

フジファブリックの「若者のすべて」をピーコちゃんが歌う。人生3曲目のレパートリー「ちょうちょ」「ヒゲジイさん」の次に覚えた曲。というのも隊長がギターでよく弾き歌っているから。やっぱり親の影響下ってすごいなって実感した。

駅の高架下なんかでダンボール敷いて寝ているおじさんを見たら、この人も何十年か前には誰かと誰かの間に望まれて生まれて来た赤ちゃんやったのに、どんなこんなでここに今いるのかなって思ってた。
人生良いことばっかりじゃない。我慢する事や思い通り行かないことも多々ある。けど、どんな人生も最終的には自分が歩いてきた道が人生になる。
ピーコちゃんも豆ちゃんも隊長や私の背中を見て育って行く。そう考えると背筋が伸びる。良い親になろうっていうより、自分の人生に自信持って、胸張ったボインな人生にしよう!

笑う門には福来る
笑う門には福来る
今日は2週に1回の豆ちゃんの様子を知る検診日やった。異常ナッシングー。
市立病院やから健康じゃなく来ている人も大勢いる。
産婦人科のすぐ隣は小児科。慣れた様子で採血の後の腕を押さえて出てくる女の子、お母さんに抱かれながら、ボンベ持った看護師さんとどこかへ行く1歳くらいの子。どの子の様子も緊急性は感じられず、むしろ彼らにとって日常といった雰囲気。
ピーコちゃんも産まれてすぐの検診時に二分脊椎かもしれないと言われた事を思い出す。平穏な日々があたりまえにいつまでも続くと思うなと教えられている気がする。
子どもは1日400回笑い、大人は15回だと言う。元々隊長のモノマネや妖しいダンスで笑う日々やったけど、ピーコちゃんが登場してもっと笑っていることが多い。1度の人生やもん、笑い袋のように笑っていたい。豆ちゃんが登場したら笑いも倍増かも?腹筋割れるな〜。
幸せと苦しい日々は隣合わせでシーソーみたいに往き来する。出来るだけだけたくさん笑えるように努力しよう。

ごめんニャさい
ごめんニャさい

茅ヶ崎に来てからたまに道で叱られる。

よく知らない爺ちゃん婆ちゃんに。
最初は郵便局を通り過ぎる瞬間、すれ違いざまに名もなき婆ちゃんに「子どもが一生懸命あんたに話してんのに聞いてやらんかい!」的な事をすれ違う数秒の間に言われた。最初は何を言われたのかさっぱり分からず、数歩進みながらそんなに仏頂面で歩いてたのかしら?と思った。
次は電チャリの前カゴにピーコちゃんが乗っていて、風で後ろカゴの凧が地面に落ちた。自転車を止めて拾おうとした瞬間、名無しの権兵衛爺が後ろから「子どもが危ないぞ」と言う。ハンドルロックはかけているけど、気をつけて凧を拾う。
今日はピーコちゃんを自転車に置いて私だけスーパーに入ると勘違いした無名の婆ちゃんが「危ないよ」と言う。「帰る所です」と伝えると「あら余計なこと言ってごめんね」と謝られた。
どれもみんな親切心、おせっかいが言葉になって現れている。最初に叱られた時はちょっとビックリしたけど、今は素直に受け止めている。誰かが誰かを気にかけるって大切やと思うから。どの爺ちゃん婆ちゃんも子どもを思って見ていてくれる。
いつかピーコちゃんや豆ちゃんも知らない爺ちゃん婆ちゃんに道で叱られるかもね。
茅ヶ崎っ子頑張れ

パワーの源
パワーの源
ジャネットジャクソンが50歳で出産!
ビッグダディの元奥さんは7人目を出産!
どちらもネットニュースの文字だけでみたけど、凄いパワーを感じる。
出産も子育ても親業ってパワーいるもんなー。
子だくさんのママとかやっぱり凄いパワフルやもんね。
私はピーコちゃんを帝王切開で出産したので、豆ちゃんも帝王切開で産まれてくる予定。だからあの噂に聞く陣痛とやらを経験していない。ちょっとどんなものか知ってみたいような、やっぱり知りたくないような。
赤ちゃんにとってはどうなんやろう?
産道を通って産まれるってトンネルの向こうのひかりを目指して進む感じかな?
帝王切開だと目覚ましに起こされるみたいに、急にひかりがパッと入ってくるのかしら?
私ならトンネルの向こうにひかりをみたいな。と言う私も帝王切開でパッカーンとこの世に登場したクチ。無念。
いつか子どもにその辺のこと覚えてるか聞いてみよっと。
さー母なる大地に感謝し今宵はジンギスカンにパワーをいただきます。あ、また増量?

吾輩は胎児である。名前はまだない。
吾輩は胎児である。名前はまだない。
胎内記憶とやらを子どもが話ししている映画を観たことがあるけど、その中で子どもは雲の上で、この人を親にしようと自分で選んで下界まで滑り台で降りて来る!?とかって話していた。
それならば、豆ちゃんもピーコちゃんも私やキングを選んで来てくれたことになる。
なんか嬉しい。何が選ぶポイントやったんやろ?楽しそうに見えたんかしらん?ならもっと嬉しい。
人間の豆ちゃんをお腹に携え既に27週。
豆ちゃんと言うもののここまで来ると1000グラム以上あるから、そんなに豆じゃない。2週に1回の検診で体重を測るたび2キロくらい素知らぬ顔して増えて来る!ちょっと前までピーコちゃんや隊長のぷっくりお腹を笑っていたのに、気づけば私がキング級にぽんぽこお腹やった!と言いながらもメロンパンを囓りながらブログを書くわたしなのです。トホホ…