【HELLMART】

西荻窪にあるアンテーィクヘルメット専門店。バイクに関連するアンティークな装備備品もあります。詳しく何かを知っている訳ではありませんが、とにかくかっこいいものしかありません。バイクに乗る人なら、乗らなくても一度は店に行ってみたほうがいいです。無骨そうですが優しく、強そうな?お兄さんが加工に精を出しています。昔の人の物作りの精神は、もしかしたら今より尊く、情熱的だったのかもしれないと思います。映画でも音楽でもプロダクトでも、、造れる喜び、造りたくてしょうがない、今よりもひとつひとつに意気込みみたいなものが違う気がするものが長ーく残っていくのだということを教えてくれます。




【家族写真】

記録に勝るものなし。質より量。量の先に質あり。

いろんな家族の肖像があり、時期や状況によって感じ方もだいぶ違うもの。

俺は、中学時代、反抗期が強めで、写真が2枚しか残ってないくて、それがどちらも中指立てて映っているという始末。。

携帯電話で写真を撮る時代。アルバム作りもしなくなり、大量に撮った写真はパソコンのデータホルダーに眠るだけ!?

ちなみに、我が家は、毎年1回、大阪で活動されている伊東さんという素敵なカメラマンさんに家族写真をスタジオで撮ってもらっています。横の写真は俺の小学校時代の嫌々プールに通っていた時のクロール写真。

 

 

栗山一家

 

29歳/32歳/1歳

一歳記念に新宿にて。

 

すました写真も自然な写真も、思い出しますいろんなこと。それが家族写真!これぞ家族写真!


湯浅一家

 

小さい頃は家族写真て恥ずかしくて嫌いでした。写っている顔はむすっとしているものばかり。でも大人になって、一人暮らしを始めて、父が定年して、じいちゃんが亡くなって、兄が結婚して、姪っ子が生まれて、写真に残さないと、すごいスピードで家族の形がどんどん変わっていくので。撮るたびに絆が深まる気もして。今はそんな気持ち。


矢野一家

 

血が繋がっているから、家族なのか

一緒にいるから家族なのか

一緒にいなくても家族なのか

 

家族のチカラはとても強い。

存在理由がルーツがそこにある。

苦しい。懐かしい。もういい。会いたい。心配。あわない。ありがたい。。

 

小学生のとき、毎週土曜日、妹も含め、4人でトランプをしていた時もあった。親父が大きな病気で倒れた事もあった。愛犬のベルが死んで火葬するために、死んだベルを抱いて4人で無言で泣きながら車を走らせた事もあった。妹の結婚式で親が泣いていた。親父が浮気して大変な時期もあった。

いろいろあった。

まだ継続中。

本当にサヨナラするときまでは、まっすぐにみれないけれど、写真に収まった顔がとにかく幸せそうだ。

 


小園一家

 

「大切なひととき」

何か行事ごとのときすら、もう家族写真を撮らなくなって、弟も一人暮らしをしていて、なかなか家族が集まる機会もなくなった。

また家族写真を撮れるときは、久しぶりに家族が集まっている、大切な時間だと思います。


原崎一家

 

 家族

ふしぎな集合体

きのう、あんなにケンカしたのに何で笑っていられるの?むかつく!家族チェンジしたい!何度思ったことか…

過去にも未来にもずっと続いていく あの世に行っても家族は家族

離ればなれになっても元家族

家族って何なの?

煩わしいけど いてくれてよかったかな いないと大丈夫じゃないな

いい所もわるい所もふつうの所も、全部家族。


村中一家

 

祖父の告別式の日、棺桶に入れられた家族写真も一緒に焼かれました。いつどこで撮ったかわからない写真。家族写真の使い道は、思い出に浸るか、飾るだけだと思っていましたが、離れていても一緒にいるための物でもあったんですね。SNSでは辿り着けない『繋がりを』を持たせてくれることを知りました。


海野一家

 

母、姉、姉の子供(姪)、私。

家族で写真を撮るのは何年ぶりでしょうか…

写真が好きではない私は、避けていたわけではないが自分から撮ろうとはしなかった。姪がいなければ撮ることもなかったでしょう。いつかこの写真が思い出となり、何年か経ったあと家族の会話になるのかと思います。姪に感謝、姪を産んだ姉に感謝、そして姉や私を産んで育ててくれた母に感謝!今では姪の成長が楽しみです。


加瀬一家

 

「変化しながら変化しないもの」

写真に写っている家族の人数や一人一人の持つ環境、それぞれの生活はもちろん変化していて、撮影した時の家族一人一人の表情や気持ちも変化しているだろう。

ただ、家族は、そばにいても、離れていても、いつもお互いを想い、大切にする気持ちは変わらず、写真はそれを教えてくれる。

その何気ない瞬間が…嬉しいものでもあり、照れくさいものでもあり…

いつでも撮れるものでもあり、もしかしたら最後になるかもしれない…

これからも、一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思わせてくれるものでありますように


金子一家

 

私と息子。

息子が産まれた日に撮ったはじめてのツーショット!やっと会えた、この嬉しい幸せ愛おしいい、うわぁぁーなんて言ったらいいんやろっていう気持ちでいっぱいでした!

そして私が着ているパジャマは出産準備の時に母からもらったもの!私の母が、私を産んだ時に着ていたものらしく、私がいつか着れる日が来ると思って大事に置いていたって言っていました。この写真には家族のいろんな形の愛情が溢れています。その瞬間を残すことが出来て、幸せやなと思います。これからも愛情をもらい注ぎ、一日一日を大切に過ごしていきたいです。

 


迫田一家


平尾一家

 

小さい頃の写真は沢山あって、親に大事に育ててもらったんだな、と感慨深くなります。反抗心を抱いた時期もありましたが、月日が経つと変わってくるんだな、と。数少ない4人揃った写真を見ると、帰ってくる場所はここなんだな、と妙にしんみりします。見ると鮮やかに思い出が甦る写真、大事にしたいですね。


あかぎ家

 

特に仲良しでも仲が悪いわけでもなく。
あまり好きじゃないかも~って思いながら…実家からこっそりこの写真持ってくるって、
ほんとは好きなんだな、と、今!
思いましたとさ!


細江一家

 

おじいちゃんと私。

おじいちゃんのことが大好き。卑屈な長女だった私にたくさん愛情を注いでくれた。毎朝毎晩おはようとおやすみをちゃんと言い合うようにしていて、おやすみの時は、肩にそっと手を触れてくれていた。些細なことだったけれど、とても大切な思い出。

 


建石一家

自分が映った、むかしの家族写真見ると。

根っこへの感謝だと思うわ


鈴木一家

当たり前の尊さを感じるもの

 いつの日から家族写真を撮ることがなくなった。

行事がなくなったから?

親が離婚したから?

思春期になったから?

自分が嫌いになったから?

社会人になったから?

 写真は時を静止画として切り取ったもの。音も匂いもない。

 しかし、 数少ない家族写真を見ると、これまでの人生を振り返り、当たり前に生きてきた日常が特別に感じる。

 当たり前は当たり前でない。そして、永遠でもない。

 だからこそ、当たり前に感謝し、当たり前を大切にできる人間でありたい。

 


中西一家

 

デジタルではない時代。

次女の私は「お誕生アルバム」も早々と写真が途切れていた。でも写真を撮っていなかったわけではなく、お正月、入学卒業、発表会

、ひな祭り、運動会、旅先、犬がきた日・・・実家には大量のネガとプリントされた写真が整理されずに眠っている。

思い出は様々、そんな時代もあったねと話すには早過ぎる今。いい時もそうじゃない時もいつまでも家族。

家族みんなが今日も元気で幸せなことを願う。


あそう一家


早川一家

 

僕は、1人っ子で7歳のときに父親が病気で亡くなりました。

でも、父親との思い出は結構あります。

公園で、キャッチボールをして僕のおでこにあたっちゃったり、バスで降りないのにボタンを押しちゃったり、、父親が生きていれば僕の人生も大きく変わったと思います。

僕は母親に育てられて、時には、母親の手に負えなくて、母親の兄にあたる親戚に預けられそうな事もありました。

でもずっと母親と一緒にやってきました。

一緒に暮らしてきて、母親の愛はとても偉大だと感じています。

これから、沢山親孝行できたらなと思っています。


井手一家

 

ムスコには友達と思ってナメられて、カミさんには片思い中だけど、この家族そんなに悪くない。(雪模様の長崎にて)


牛尾一家


村上一家


生形一家

 

思い出の記録。私の家族は家族写真を撮ることが好きで、どこかに出かけるたびに写真を撮る。例えば、私が昔の記憶を忘れていたとしても、写真を見返すことでその時のことが思い出されたり、家族で思い出話に花が咲く。これからも、たくさん残していければいいな♪


島一家 

写真なし(家族全員が写真が嫌いで家族写真がないという)

 

他の人には私達家族にはなれないし、私達家族もなれない。この家族だから楽しくやっていけてると思う。いつも笑顔にさせてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。


中西一家


中村一家


稲垣一家

 

側にいたときは時々疎ましく思ってしまって悪態をついてしまうときもあった。離れてみてどれだけ支えられていてどれだけ見守られていたのかを知った。いなくなって偉大さや温かさを知った。いつだって後から気がつく、その愛に。目に見えないからわからないけど、いつだって包まれている。だからいつだって安らぎがあるんだ。写真が唯一愛が見えるもの。そんな気がする。

 



 

長田一家

 

息子の幼稚園の卒園式での写真です。

いつも私か主人がカメラマンなので、家族4人揃っての写真はなかなか貴重です。普段子供と接していても、まじまじと顔を観察()することは少なく、こうやって全員で並んだ写真を見ると、子供たちのここはパパ似だな、ここはママ似だな、大きくなったなと改めて思います。

 実家にある自分の家族写真を見てみても、若い頃の両親と今の自分、兄妹のちょっとした表情がとてもよく似ていたり、やはり家族なんだなと思います。

 

こうして写真を通して家族の証みたいなものを見つけるのは、楽しく幸せなひとときです。